[ ふたりの距離の概算 ]の表紙

 [ ふたりの距離の概算 ]の表紙は何なのだろうか。一応、装丁は[ 岩郷重力 + WONDER WORKZ ]となっていて、装丁の担当は変わっていない様子。まあ、この装丁については、[ 遠まわりする雛 ]の時から疑問には思っていた。
 [ 遠まわりする雛 ]は、その前のシリーズが主に学内の写真であったのに、突然、何処かの公園のような写真( 校庭の一部のように見えない事もないが、高校に北大並の校庭が有るとは思えない )で、収めている短編のどれとも直接的な繋がりは無さそうな風景となっている( *1 )。
 そこへ、今回の表紙。インシテミル( 四六判 )の表紙にも虚をつかれたが、須和名祥子という女性の特異性を暗示しているようでもあり、まあ、これもありでしょうという感じではあった。
 しかし、[ ふたりの距離の概算 ]の表紙は違和感バリバリだ。ハッキリ言って、中身と表紙の印象がズレている。同じ印象を持ったのが、旧スニーカ文庫時代の[ 氷菓 ]と[ 愚者のエンドロール ]の表紙。高野音彦さんの絵は上手いのだが、違和感を感じるのは私だけでは無いだろう。上杉久代さんも、北沢平祐さんも同様だ。
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どうも、米澤穂信さんの作品にはミスマッチなイラストが多いという印象。
 出版社側がどう考えているのかは判らないが、正直、表紙は重要だ。表紙に依っては駄本でも売れるし、逆に表紙に依っては名作でも手に取って見て貰えない事はザラにある。私自身、表紙と要約に吊られて買ってみたら、余りの内容の酷さにガッカリした事もあるし、逆に表紙で見逃した事もある。
 実際、私自身が、米澤氏の作品を手に取ったのは[ 小市民シリーズ ]が最初。そこそこに良かったので、[ さよなら妖精 ]を続いて購入し、唖然とした。どうして、この作家に気づかなかったのかと。慌てて、ネットで調べて、何とか古典部シリーズを揃えたが、スニーカ文庫時代の表紙をネットで見て、再度唖然。内容とイラストがズレていて、これじゃ、買わないだろうと。

 そもそも、このような作品をスニーカ文庫で出していた事もミスマッチだが、表紙が完全にミスマッチ。

 [ ふたりの距離の概算 ]は、ライトノベル的なイメージや固定したイメージを持たれたくないという事で、漫画的なイラストを避けたのだろうが、どうも、うまく行っていない感じだ。
 又、突然、写真からイラストに変更したのは学年が上がった事から、イメージを変えたかった様子。という事は、暫くはこのイラストという事なのだろうか。いまさら、人物のデザインを変える分けには行かないだろうが、次回は何とかして欲しい。
 もし、個人的にはイラストを描いてもらうのなら波津彬子さんが良いと思うし、イメージの固定化を嫌うのなら、坂田靖子さんもいいだろうと思うのだが、如何なものだろうか。
 さて、今回、総じて思ったのは、ミステリは表紙に恵まれていない作品が結構有るという点。これに対して、SFは表紙には神経を使っている。まず、ミスマッチはあり得ない。この差は何だろうか。
 SFとミステリ。日本では、優遇されているのはミステリの方だろうから、この違いが表紙への配慮となっているのだろうか。

*1: なんらかの暗示を感じさせる表紙でもあるが