さよならの次にくる

 似鳥 鶏 氏の[ さよならの次にくる ]が出ていたので読んでみた。作品としては悪くは無いのだが、どうも読み辛い所が有る。例えば、以下の部分だが、

こういう公演は大抵夕方からだから、地元の駅に帰り着く頃には夜十時半を回っていた。

 日没の早まる季節でもある。日が落ちて空が染まれば夜の寄せ波がやってくる。数刻を経て潮は満ち、街はそこから、さらに一段沈み込む。夏場は見えなかった夜の底がダム底の廃車のようにちらりと姿をのぞかせる。そういう時間帯だった。


[ 創元推理文庫 似鳥 鶏 著「さよならの次にくる( 卒業式編 )」10p ]

[ 夜十時半を回っていた。]と記述した直後に[ 日没の早まる季節でもある。日が落ちて空が染まれば... ]と続くので、


『 え...? 22時30分は、日没からは結構な時間が経過しているハズなのだが... ? 夏でも東京で19時程度、北海道でも19時半くらいが限界だろう? 』 *1
という事で、一端戻り、[ 夜十時半を回っていた。]という記述を再度確認。頭の中が[ ? ]となった状態で、読み進めると[ 夜の底がダム底の廃車のようにちらりと姿をのぞかせる ]辺りで、ようやっと意味が分かる始末。こういう記述が所々にあって、読み難い事この上ない。又、シチュエーションとして首をかしげるような所も幾つか有る。
 著者としては情景描写をしているのだろうが、突然、時間が戻るので、読者は[ ? ]となってしまう。しいて記述するなら、

こういう公演は大抵夕方からだから、日没の早まる季節では数刻を経て潮は満ち、街はそこから、さらに一段沈み込む。
 地元の駅に帰り着く頃には夜十時半を回っていて、夏場は見えなかった夜の底がダム底の廃車のようにちらりと姿をのぞかせていた。

はどうだろうか、これなら時間の流れは一定だし、[ そういう時間帯だった ]という二重記述も不要だ。小説としては、

こういう公演は大抵夕方からだから、日没の早まる季節では数刻を経て潮は満ち、街はさらに一段沈み込む。
 地元の駅に帰り着く頃には、夏場は見えなかった夜の底がダム底の廃屋のように姿をのぞかせていた。

というように記述して、時刻の明示や[ 時間 ]という言葉は使用しない方が、より味がでるのだが、推理小説ではそうもいかないだろう。

 所で、ネットで検索すると最初に出た[ 理由あって冬に出る ]の表紙で、主人公の隣にいる少女が誰なのかで論議を呼んでいるらしく、少々驚いた。確かに眼鏡を掛けている女の子の記述は無いが、眼鏡を掛けていないという記述も無い。推理小説の場合、作家が挿絵に注文をつけるのは、其れほど珍しい事でもなく、ストーリの流れからみて、主人公に好意を持っていると思われる柳瀬嬢だと初巻から思っていたのだが。

*1:日没の時刻の話です。暗くなるのはさらに1時間後。